お昼になって、「今日は食べられそうだ」と思い、カップ麺にお湯を注ぐ。
そんなときに限って、現場からトラブルの連絡が入ります。
機械が止まった。うまく動かない。いつもと状態が違う。
連絡を受ければ、そのままにしておくわけにはいきません。現場へ向かい、機械を見て、原因を探して対応する。そうして戻ってきた頃には、カップ麺はすっかりスープを吸っています。
もちろん、冷めています。
それを食べることは、当時の私には珍しいことではありませんでした。

会議に呼ばれる。部下から相談される。上司から急な仕事が入る。そして現場ではトラブルが起きる。
予定を立てても、その通りに一日が終わることの方が少なかったように思います。
それが、当時の私の仕事でもありました。
機械は、いつも同じようには動いてくれない
機械を常にベストな状態にしておく。
もちろん、それが理想です。
ただ、実際の製造現場では、それだけでは片づかないことがありました。
例えば、部材の落ち方です。
いつもと同じように機械を動かしているつもりでも、部材が落ちてくる感覚が微妙に違うことがあります。
そんなときには、サイクルを変えてみたり、周波数を調整してみたりして、部材の動きがどう変わるのかを見ていました。

普段はあまり触らない部分まで確認することもあります。
決められた操作を覚えただけでは、なかなか対応できない部分でした。
知識は必要です。
でも、実際に機械を見て、触って、何度もトラブルを経験する中で分かることもありました。
当時の私は、そうやって現場で経験を積んできました。
若手と一緒に、止まった場所だけを見なかった
トラブルの連絡が入ると、若手と一緒に機械を見に行くことがありました。
機械が止まっていれば、どうしても止まった場所に目がいきます。
でも、そこで異常が出ているからといって、そこに原因があるとは限りません。
付随する前工程の状態が影響して、その結果として目の前の場所でトラブルになっていることもありました。
だから、止まっている箇所だけではなく、前工程まで戻って確認しました。
部材がどう落ちてくるのかを見る。
サイクルを変えてみる。
周波数を調整して、動きがどう変化するのかを見る。
一つ条件を変えたら、また機械を見る。
それでも分からなければ、もう一度戻って考える。
若手にも、その様子を一緒に見てもらいました。
私が一緒に考えていたのは、
なぜ、このトラブルが起きたのか。
ということでした。
普段あまり触らない部分については、Q&Aを使って説明することもありました。
目の前の故障箇所だけを直して終わるのではなく、その前に何が起きていたのか。ほかのところから影響を受けていないか。
実際の機械を前にして、一つずつ見ていきました。
教えたからといって、すぐにできるわけではなかった
もちろん、一緒にトラブルを見たからといって、次からすぐにできるようになるわけではありません。
教えたあとでも、
「動きません」
と言われることがありました。
見に行くと、途中の操作が一つ抜けている。
そんなこともありました。
自分では当たり前にやっている操作でも、若手にとっては当たり前ではありません。
長く機械を扱っていると、意識せずにやっていることも増えてきます。
こちらは教えたつもりでも、途中の操作まで十分に伝えられていなかったこともあったと思います。
知識として知っていることと、実際に機械を前にして判断できることは、同じではありませんでした。
部材の落ち方を見る。
条件を変える。
機械の反応を見る。
そこから、もう一度原因を考える。
そういう経験を繰り返しながら覚えていく部分もありました。
自分で対応してしまった方が早いことは、何度もありました。
それでも、若手を育てることは当時の私の仕事でした。
上司から聞いた「5年後」という言葉
当時の私は、まだ本部会議に出席できるレイヤーではありませんでした。
ただ、上司が本部会議で話された内容を、ミーティングで私たちに伝えることがありました。
その中でよく出ていたのが、人員構成の問題です。
5年後を考えると、若手と呼べる人がいなくなる。

上司から、そんな話を聞いていました。
それまでの私は、トラブルが起きれば、まず機械をどう復旧させるかを考えていました。
機械が止まっている。
原因を探す。
直して動かす。
現場にいる以上、それは当然の仕事でした。
でも、「5年後」という言葉を聞くようになってから、少し違うことも考えるようになりました。
今、自分が直せるかどうかだけではない。
この先、誰がこの機械を見ていくのか。
目の前のトラブルを見ることと、5年後の現場を見ること。
当時の私の中で、この二つが少しずつつながっていったように思います。
自分の仕事を見る範囲が、少し広がっていった
今振り返ると、この頃は私自身が管理する側の見方を少しずつ持ち始めた時期だったのかもしれません。
もちろん、当時からそんなふうに整理して考えていたわけではありません。
目の前には、止まった機械があります。
若手から「動きません」と呼ばれることもあります。
会議もあれば、部下からの相談もあり、上司から急な仕事が入ることもあります。
その一つひとつに対応していました。
ただ、それまで目の前の機械を中心に見ていたところから、その機械を次に誰が見るのか、その人をどう育てるのかというところまで、自分の仕事として考えるようになっていました。
管理者になるというのは、ある日突然、見えるものが全部変わることではないのかもしれません。
少なくとも私の場合は、そうではありませんでした。
現場で起きていることに対応しながら、少しずつ見る範囲が広がっていった。
後から振り返ると、そんな感じだったように思います。
それでも、人を育てるのは簡単ではなかった
5年後の人員構成を考えれば、若手を育てることはマストでした。
ただ、こちらが育てたいと思えば、それで人が育つわけではありません。
社員になり、さらに上のレイヤーへ進めば、責任も大きくなります。
管理する側から見れば、次を担う人が必要です。
一方で、本人がその立場を望んでいるとは限りません。
責任が増える立場を望まない人もいるでしょうし、実際、自分から手を挙げる人は多くありませんでした。
こちらには、5年後の人員構成があります。
若手には、それぞれ自分の将来があります。
この二つは、必ずしも同じではありません。
この問題については、当時も簡単な答えがあったわけではありませんでした。
冷めたカップ麺を食べながら
トラブル対応から戻ると、カップ麺はスープを吸って冷めている。
そんなことが、当時は日常でした。
あの頃の私は、目の前の機械を直していました。
同時に、若手と一緒に部材の動きを見て、前工程まで戻り、トラブルの原因を考えていました。
そして上司からは、5年後の話を聞いていました。
当時は、それぞれ別の仕事のように見えていたのかもしれません。
でも今振り返ると、少し違って見えます。
機械を見る。
人を見る。
そして、少し先の現場を見る。
そうやって、自分の見る範囲が少しずつ広がっていった時期だったのだと思います。
当時のあの時間も、私の仕事だったのだと思います。



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