先月、実家のお墓参りに行ったときのことです。
ふと、子どもの頃に毎日歩いた道を思い出しました。
私の生まれ育った街には、「六道」と呼ばれる場所があります。
その近くには、私が通っていた小学校がありました。
ですから、六道は特別な日に訪れる場所ではありません。
小学生だった私にとって、毎日通る生活の一部でした。
朝は学校へ向かい、帰りは友達と話しながら歩く。
ときには急ぎ、ときには寄り道をする。
あの頃は、そこにある歴史や意味を深く考えたことはありませんでした。
ところが、大人になって同じ場所を歩くと、景色はまるで違って見えます。
そして、子どもの頃は怖いだけだった閻魔様のことも、今では人生を見つめ直す存在のように感じるのです。
毎日通った「六道」
私の故郷にある六道は、六つの道が集まる場所です。
六道という言葉を聞くと、あの世への入口を思い浮かべる方もいるかもしれません。
しかし、この土地は、六つの道が交わることを仏教の「六道」になぞらえて、そう呼ばれるようになったといわれています。
その近くには、私が通っていた小学校がありました。
毎朝、同じ道を歩いて学校へ向かいました。
帰りには友達と話しながら歩いたこともあります。
子どもの頃の私にとっては、六道も閻魔堂も、そこにあって当たり前の風景でした。
今になって思うと、ずいぶん歴史の深い場所を毎日歩いていたのだと思います。
六道のある辺りは、戊辰戦争の激戦地となった土地でもあります。
そのことを知ったのは、子どもの頃よりもずっと後のことです。
何も知らず、ランドセルを背負って毎日歩いていた自分を思うと、不思議な気持ちになります。

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ」
六道の近くには閻魔堂があります。
私の家の菩提寺が、そのお堂をお守りしています。
子どもの頃、大人たちはよく言いました。
「嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれるぞ。」
今なら昔ながらの戒めだと分かります。
しかし、小さかった私は本気で怖がっていました。
悪いことをした日は、閻魔堂の前を通るのが少し怖かったかもしれません。
何も言わなくても、閻魔様にはすべて見透かされている。
そんな気がしたものです。
毎日通う道の近くに、怖い閻魔様がいる。
それだけで、子どもなりに背筋が伸びました。
嘘をついてはいけない。
人を困らせてはいけない。
悪いことをすれば、いつか自分に返ってくる。
難しい言葉ではなく、閻魔様の怖い話を通して、大人たちは生き方の基本を教えてくれていたのでしょう。
そこだけ空気が違うように感じる場所
先月のお墓参りで、久しぶりに六道の辺りを歩きました。
子どもの頃と同じ場所です。
けれど、あの頃とは感じ方が違いました。
不気味という言葉では、少し違います。
殺風とでもいうのでしょうか。
その場所だけ季節が違うような、周りとは別の時間が流れているような雰囲気があります。
これは気のせいかもしれません。
長い歴史を知ったから、そう感じるだけなのかもしれません。
それでも、六道に足を踏み入れると、自然と気持ちが静かになります。
子どもの頃は、学校に遅れないことや、友達と遊ぶことばかり考えていました。
今は、その土地を歩いた人たちや、そこで起きた出来事に思いを向けるようになりました。
歳を重ねると、同じ景色でも見え方が変わるものですね。
六道は、今を生きる私たちの心にもある

仏教では、迷いのある命は死後、生前の行いによって六つの世界のいずれかに生まれ変わるといわれています。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道。
これを六道輪廻と呼びます。
子どもの頃は、ただ怖い世界の話だと思っていました。
けれど、大人になった今は、六道は死後の世界だけを表しているのではないように感じます。
怒りや争いに心を奪われれば、そこは修羅のような世界になります。
欲ばかりを追い続ければ、いくら手に入れても満たされません。
誰かを思いやり、感謝しながら過ごせば、穏やかな気持ちで生きることができます。
そう考えると、六道は遠い世界の話ではありません。
今を生きている私たちの心の中にも、六つの道があるのかもしれません。
閻魔様は、人生を映す鏡
子どもの頃、閻魔様はただ怖い存在でした。
悪いことをした人を裁き、嘘をついた人の舌を抜く。
そんな恐ろしい姿だけを想像していました。
しかし今では、閻魔様は自分の生き方を見つめ直すための鏡のように思えます。
人に優しくできただろうか。
感謝を忘れていなかっただろうか。
自分に都合のよい言い訳をしていないだろうか。
誰かに裁かれる前に、自分の心に問いかける。
そのために、閻魔様の存在があるのかもしれません。
人は誰でも失敗します。
私も、振り返れば後悔することがあります。
だからこそ、ときどき立ち止まり、自分の歩いてきた道を振り返ることが大切なのでしょう。
夏祭りを思い出して
お墓参りの帰り、六道を見ながら思いました。
もうすぐ夏になれば、ここでお祭りがあるな、と。
子どもの頃は、夏祭りが楽しみでした。
提灯の明かり。
人のにぎわい。
いつもとは違う町の雰囲気。
毎日通った道が、その日だけ特別な場所に変わります。
閻魔堂の近くを歩きながら、怖いと思う気持ちと、お祭りが楽しみな気持ちが入り交じっていたのかもしれません。
そんな思い出も、今では懐かしいものです。
何気なく通っていた道。
怖かった閻魔様。
楽しみにしていた夏祭り。
すべてが、私の子ども時代につながっています。
まとめ
故郷の六道は、私にとって毎日歩いた通学路でした。
子どもの頃は、その土地の歴史も、六道という言葉の意味も深く考えていませんでした。
閻魔様も、ただ怖い存在でした。
けれど、年齢を重ねた今、同じ場所から受け取るものは変わりました。
六道は、自分がどのように生きるのかを考えさせてくれます。
閻魔様は、自分の心に恥じない生き方ができているかを、静かに問いかけてくれます。
毎日通った何気ない道が、今では人生を振り返る大切な場所になりました。
おわりに
歳を重ねると、子どもの頃には見えなかったものが見えてきます。
何気なく聞いた言葉の意味。
当たり前に歩いた道の歴史。
怖いと思っていたものに込められた、優しい教え。
「嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれるぞ。」
子どもの頃は、ただ怖いだけの言葉でした。
今は、人をごまかしても、自分の心まではごまかせないという教えだったように感じます。
閻魔様に裁かれることを恐れるのではありません。
自分の心に恥じないように生きる。
故郷の六道を歩きながら、改めてそう思いました。
これからも、ときどき自分の歩いてきた道を振り返りたいと思います。
そして、これから進む道も、少しでも穏やかで正直なものにしていきたいです。
🍀 今日のひとこと
毎日歩いた何気ない道が、歳を重ねると人生を教えてくれる道になりました。
📖 今日の学び
子どもの頃に聞いた戒めは、大人になってから自分の生き方を支えてくれることがあります。



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