定年退職まで、あと29日です。
でも、会社に通うのは今日が最後になりました。
正式な退職日はまだ先ですが、有給休暇を少し使わせてもらうことになり、今日が最後の出勤日でした。
朝、会社に着くと、景色はいつも通りでした。
当たり前ですが、特別な日を迎えているのはこちらだけで、会社は何も変わりません。エレベーターも同じ、コーヒーの匂いも同じです。
「おはようございます」
その声も、たぶん普段通りだったと思います。
ただ、こちらが今日を意識しすぎていたせいでしょうか。いつもより少し大きく聞こえました。
気のせいかもしれません。でも、悪い気はしませんでした。
定年を目前にした最後の出勤日です。
もっと寂しくなるのか、それとも晴れ晴れするのか。自分でもよく分かりませんでした。
ただ、いつもと変わらない会社の景色を見ながら、「今日でここに通うのも最後なんだな」と思っていました。
朝礼で挨拶。思ったより楽しく話せた
全体朝礼で挨拶をすることになっていました。
前の晩、何を話そうかそれなりに考えていましたが、いざ話し始めると、わりと自然に言葉が出てきました。
途中でちょっとした失敗談を挟んだら、笑いも起きました。緊張していたわりには、思ったより楽しく話せたと思います。

部署でも改めて挨拶をしました。
そのあとは、お世話になった人のところへ一人ずつ挨拶に回りました。逆に、こちらへ来てくれた人もいました。
話をしていると、一緒にやった仕事や助けてもらったこと、意見がぶつかったことまで、いろいろ思い出します。
長く仕事をしていれば、いろいろあります。
いつも意見が合っていたわけではありません。それでも今日、こうして「お世話になりました」と挨拶をしている。
なんだか不思議な感じがしました。
スマホとPCと鍵を返した
会社から借りていたスマホ、PC、鍵も、今日返しました。
担当の人に一つずつ渡して、確認してもらいます。
昨日まで当たり前のように使っていたものです。PCで仕事をして、スマホで連絡を取り、鍵で部屋を開ける。それが今日から、自分の手元にはありません。
ただ物を返しただけです。
それなのに、一つ返すたびに、自分の役割も一つずつ終わっていくような感じがしました。
理屈ではありません。
そう感じるのだから仕方ありません。
本社への連絡も済ませ、社内システムから必要な申請も全部終わらせました。
こういう手続きは淡々と進みます。
でも、朝礼で挨拶をすることより、こうした事務的な手続きを終えることのほうが、意外と「終わった」という実感がありました。
会社では、自分なりに役割を果たしてきたつもりです。
その役割が今日で終わる。
ホッとする気持ちもあります。
でも、少し寂しい。
この二つは、どうも一緒にやってくるようです。
空っぽのロッカーを見て、実感した

私物も片付けました。
最後に軽く掃除をして、長年使っていたロッカーの中が空っぽになりました。
何も入っていないロッカーを見ると、なんだかよそよそしく見えます。
自分が使っていたはずなのに、もう自分の場所ではないような感じがしました。
不思議なもので、朝礼で挨拶をしたときより、この空っぽのロッカーを見たときのほうが、
「ああ、終わったんだな」
という実感がありました。
大げさなことではありません。
ただ、明日からここに自分の物を置くことはありません。
毎日当たり前に使っていた場所が、今日から自分の場所ではなくなる。
最終出勤日というのは、こういう小さなところで実感するものなのかもしれません。
「一緒に写真、撮りましょう」
今日挨拶をした人たちと、自撮りで写真も撮らせてもらいました。
こちらから声をかけたり、向こうから誘われたり。特に約束していたわけではありませんが、一人、また一人と撮っているうちに、気づけば数十枚になっていました。

正直、普段からそんなに写真を撮る性格ではありません。
でも今日は、なぜか断る理由がありませんでした。
この写真を、何年か先にまた見ることがあるのでしょうか。
そのとき、
「この人とは、あの仕事をしたな」
「あのときは意見が合わなくて大変だったな」
そんなことを思い出すのかもしれません。
写真を見返していて、ひとつ気づいたことがあります。
写っているのは、仲が良かった人ばかりではありません。
仕事で何度も意見がぶつかった人も、けっこう写っていました。
「それは違うと思う」
「いや、こっちの方がいいはずだ」
そのときは、お互い真剣でした。
今思えば、私も意地になっていた部分があったのかもしれません。

でも、目指していたところは同じだったのでしょう。
会社をもっと良くしたい。
そこへ向かう道が違っただけだったのかもしれません。
そう考えると、今日、その人と並んで写真を撮れたのは悪くありませんでした。
不思議なものです。
あれだけ意見がぶつかったことも、時間がたつと会社員生活の一つの思い出になります。
そして最後の日には、並んで一枚の写真に収まっている。
長く働くというのは、こういうことなのかもしれません。
今になって思う。楽しかったんだな
働き方も、人との付き合い方も、ずいぶん変わってきたように思います。
自分たちの頃は、もう少し仕事の中に踏み込んでいたような気がします。
意見が違えば言い合うこともありました。たまには熱くなることもありました。
それでも次の日になれば「おはようございます」と言って、また一緒に仕事をします。
そんなことを何度も繰り返してきました。
効率が良かったのかと聞かれたら、正直分かりません。もっと上手なやり方もあったのでしょう。
でも、私は嫌いではありませんでした。
今日、いろいろな人と話をして、写真を撮って、昔のことを思い出しているうちに、ふと思いました。
楽しかったんだな、と。

もちろん、すべてが楽しかったわけではありません。
それでも最後の日に振り返ってみると、「いろいろあった」という言葉の中に、嫌だったことも、うれしかったことも、失敗したことも、誰かに助けてもらったことも、全部入っているような気がします。
定年を目前にして、ようやくそんなふうに思えるようになったのかもしれません。
少しずつ「最後」になっていった一日
今日は電話やメールもいくつかもらいました。
今日が最後の出勤だと知っている人たちからでした。
「お世話になりました」
そう言われるたびに、本当に今日で最後なのだという実感が少しずつ濃くなっていきました。
朝、会社に着いたときは、まだどこか他人事のような感じがありました。
それが、朝礼で挨拶をして、いろいろな人と話をして、一緒に写真を撮る。スマホやPC、鍵を返して、ロッカーを空にする。
そうやって一つずつ終わっていくうちに、「ああ、今日で終わりなんだ」という気持ちになっていきました。
最終出勤日というのは、会社を出る瞬間に突然終わるものではないのでしょう。
朝から一つずつ、自分と会社をつないでいたものがなくなっていく。
私にとっては、そんな一日でした。
定年を目前にして、最後の日に思ったこと
今日、会社の物は全部返しました。
スマホも、PCも、鍵も返しました。ロッカーも空っぽになりました。
その代わり、手元には数十枚の写真が残りました。
仲良く仕事をした人も写っています。
何度も意見がぶつかった人も写っています。
振り返ってみれば、そのどちらも自分の会社員生活だったのでしょう。
若いころ、定年を迎える自分のことなんて考えたことがあったでしょうか。
少なくとも、こんな一日を迎える自分の姿までは想像していませんでした。
それが今、定年まであと29日というところまで来ました。
長かったのか、短かったのか。
今は、よく分かりません。
ただ、今日撮った数十枚の写真を見ていると、これだけの人たちと一緒に仕事をしてきたんだなと思います。
いろいろありました。
でも、最後の出勤日に「楽しかった」と思えた。
今は、それで十分な気がしています。
正式な定年退職までは、あと29日あります。
でも、会社へ通う生活は今日で終わりました。
明日の朝は、もう会社へ行く必要がありません。
いつもの時間に目が覚めるのでしょうか。
起きた瞬間、「会社へ行かなくていいんだ」と思うのでしょうか。
それとも、まだ何も変わった感じがしないのでしょうか。
今はまだ分かりません。
明日から、会社へ行かない朝が始まります。



コメント